ロックフィッシャー佐藤文紀

ロックフィッシャー
佐藤文紀
(さとうふみのり)
元祖・根魚ハンターとして、数々のIGFA世界記録及びJGFA日本記録を有し、「根魚釣りの専門家」として東北〜北海道を拠点に全国各地の根魚を追い続ける。
又、フラットフィッシュや大型トラウトの釣りにも造詣が深い。
2011年、自らがプロデュースするブランド、PRO’S ONEを立ち上げた。
NPO法人ジャパンゲームフィッシュ協会(JGFA)評議員

キャッチアンドリリースのお願い

豊かな自然とグッドコンディションの魚を守るため、必要以上のキープは慎み、又、産卵前の個体やこれから大きく成長していく若魚は、ぜひともリリースを心掛けましょう。
釣り場環境への負担を最小限に抑えることで、次世代に渡り末永く楽しめることを願って―。

梅雨の空に故人を偲ぶ

季節は梅雨。あいにくの雲空が続くが、それも日本の四季ならではの情景。

 

 

 

 

 

 

 

分厚い鉛色の空の下、しとしと降る雨。

季節は文月、梅雨―。

なにかと暗い話題が多い世の中、この曇天の下で淡くも鮮やかな花と凛とした葉緑で私達の心を彩ってくれる紫陽花(あじさい)の存在は、いっそう大きく感じられる。

 

今週は関西に向かった。

 開花を迎えたアジサイの花々。これからその時を待つ、つぼみも愛らしい。                              

 

 

 

 

 

 

ルアーアングラーには「カルティバ」ブランドでお馴染み、オーナーばり社の中道会長が病気療養中のところ、誠に残念ながら先日亡くなられた。行年79歳。

「社葬・お別れの会」が執り行われ、私も謹んで参列させて頂いた。

会場となった帝国ホテル大阪には釣り業界関係者が多数参列し、今は亡き会長の訃報を悼んだ。

34歳の若さで、現・オーナーばりの前身である“オーナーばり本舗”を奥様と共に立ち上げて以来、今では世界でも有数の釣りバリ専門メーカーとしての不動の地位を確立したメーカーの創業者だけに、さぞかし大変な想いで今日までご自身の会社を成長・維持されてきたことは業界人の誰もが敬意を表するところである。

 

今宵は故人を偲び、同社との思い出を少し書き綴ってみたい。

どうかお付き合い頂ければ幸いである。

雨に濡れる葉緑も実に鮮やか。美しい緑は見ている人間の心さえも癒してくれる。

 

 

 

 

 

 

 

カルティバの中でもロックフィッシュ関連商品である“岩礁ブランド”の監修役として、とりわけロックフィッシュアングラーの間では今や定番商品となった「岩礁カウンターロック」の開発に至っては、かなりの期間を要したものだった。

オーナーばり本社がある兵庫県西脇市まで何度も通って技術担当者はじめ同社のスタッフ達と時間を忘れるほど一つのハリの開発・会議に没頭したことも、製品の発売から早3年を迎える今でも新鮮な記憶として残っている。

2008年、既存のバスフィッシング用オフセットフックとは一線を画する、根魚専用コンセプトを明確化した私の手書きスケッチを元に、熟練の釣りバリ職人のハンドメイドにて、のちに“カウンターロック”と名付けられるこの針の開発はスタートした。姉妹品でもあり初期製品でもある岩礁メガトンロックは“強度重視の飲ませバリ”(その証拠にナローゲイプ設定)というコンセプトで作られた針であるが、とにかく「曲がらない」・「折れない」ことに特化させるため、線径には極太ワイヤーを採用。その太さゆえにフッキング性能に関しては、正直なところその次に甘んじるしかなかった。しかし時代は進み、ロックフィッシュアングラーの爆発的増加は人的プレッシャーという新しい課題に直面し、タフコンディション化が急激に進んでいく最中、スレた大物のショートバイトを瞬速でフッキングに持ち込み、皮一枚でもいいから唇に“絡め獲れる針”がどうしても必要に迫られた。

時代が確実に変わっていっていることを、私はひしひしと痛感していた。

 

危険を承知のうえ、並大抵の人なら侵入出来ないような秘境的フィールドに釣趣を求める場合を除き、漁港や港湾部、小磯や足場の良い磯場であればメジャーポイントゆえに連日、入れ代わり立ち代わり多くの根魚愛好家が押し寄せるため、ロックフィッシュジャンルにおける全体的な釣獲率は年を追うごとに下降気味になっていったことは誰もが実感していただろう。

それでも、いかなる状況においても、可能性がある限りは“どうにかして釣りたい”と思うことは釣り人なら誰しもが共通する願い。そこで、「釣れる人」と「釣れない人」の差は何なのか、という次元で考え、話を進めていくとフックアップに持ち込めない魚をいかにして減らす努力をするか、という一つの結論に至った。これはUNDER WATERの水中映像が私達に教えてくれた海底で起こっている真実の一つであった。魚がルアー(ワーム)にバイトするまではルアーそのものの性能面にも大きく委ねられるが、ルアーにバイトした後は、それを確実にフッキングするための針の性能も同時に伴わなければ、これから益々難しくなっていくビッグフィッシュとの駆け引きを制することは勿論、これらを釣り上げることもより一層難しくなってくる。

 

岩礁カウンターロックは究極のフッキング性能という課題に、より特化した“掛けバリ”を目指してその長きに渡る開発がスタートした。私が考える根魚専用のオフセットフックの理想形をあらゆる角度から検証し、サンプルを何度も作り、それを持って主に北陸・東北・北海道のフィールドで私が随時テストをおこなっていったモノ作りの現場。思いおこせば、最終プロトが滞在先の北海道苫小牧市内のホテルに届いた2009年6月のある日。翌日、勇払マリーナ所属で当時はまだ駆け出しの新米船長だったボイジャーの安瀬君(現:遊漁船「流駕」船長)のところで、テキサスリグ縛りで大型アイナメをボコボコに釣り、その圧倒的なフッキング性能を確信するに至った。私があまりにも妥協知らずの釣り人ゆえに正直、釣りバリとしては異例の長き開発テスト期間を要したため、カルティバ首脳陣もさぞかし、やきもきしていたに違いない。でも、そうでもなければわざわざ新しいモノを作る意味もないし、その存在意義すらない、というのが私の考えだった。どうせ作るなら最高峰のものを作ろうじゃないか。自身の胸中はそれだけだった。

梅雨がないはずの北海道であるが、その日は朝からずっと雨の降る1日だった。それでもこの日、苫小牧の海でようやく「完成」のゴールが誰よりも早く私には見えた。よって、この時点で量産化OKのゴーサインを出しても別に問題はなかったのだが、最後の最後は私の地元の海でという強い想いから、北海道から戻るなり宮城県の牡鹿半島に繰り出し、日中ドビーカンの潮止まりというタフな状況ながら54cmのアイナメをキャッチしたことで、その海の上からオーナーばりに電話し、正式に量産化のゴーサインを出した。その堂々たるアイナメの口元にキレイにフッキングしていた時は、また新たな製品の誕生に歓喜したものだった。

下の写真がまさにそれ(↓)。2009年、私達があの悲しい出来事に直面する2年前まで話は遡る。旧来から続いてきた牡鹿半島の美しい海がそこには確かにあった。ちなみに後ろに見えるのは田代島。写っている自分も若々しいため、ちょっと赤面ものだがこの日はたまたま梅雨の中休みの晴れ間。日中のドピーカンの潮止まりでモソッという微妙なショートバイトを瞬間的に合わせて獲った54cmのアイナメ。この魚が量産化への決めてとなった。

2009年、梅雨の晴れ間の宮城県牡鹿半島で岩礁カウンターロックの最後のテスト。この54cmのアイナメが量産化の決定打となった。

 

 

 

 

 

 

 

この針の名前の由来は、喰い渋るショートバイトをカウンターフッキングで絡め獲ることが出来る“即掛け仕様”の針、ということ。ちょうどボクシングのカウンターパンチを私は強くイメージしていた。この商品の名づけ親も勿論、私本人である。

東北は言うに及ばず、北海道釧路市のウサギアイナメとカジカ、北海道苫小牧市のアイナメ、富山県富山湾のキジハタ、石川県能登半島のベッコウゾイ。極め付けは岩手県重茂半島で36cmのメバルをこの岩礁カウンターロック3/0(最終プロト)のテキサスリグで釣り上げ、テスト段階からそのフッキング性能の差が明らかなものであることを釣果という形で社内外に対し証明出来た事も幸いだったと思う。後にメバルは当時のJGFA日本記録及びIGFA世界記録にもなったことも今は良き思い出の一つだ。

量産化が進み、製品の出荷を目前に控えた完全版「岩礁カウンターロック」の“第1号”は、同年10月にロケが行われた「アイナメUNDER WATERⅡ」DVD撮影時にもいち早く導入。

その後、岩礁カウンターロックという根魚専用オフセットフックは今日に至るまでロックフィッシュアングラー皆様のお手元にお届けされている。

 

開発中は、実釣現場でプロトサンプルを直火であぶって、そのつどペンチで微調整しながらワームのホールド性能と極限のフッキング性能の融和を図った。又、その期間中は日々、台所にどのくらい立っていただろうか。キッチンのガスコンロで針を熱し、ミリ単位で針先の向き、角度、ゲイプ幅を微妙に異なる調整をしたサンプルをいったいどれだけ作ったことか。

気の遠くなる地道な作業の連続だったが、ひたむきに根魚のことを考える日々は多忙ながらにして充実したものだった。

根魚専用オフセットフック「岩礁カウンターロック」(カルティバ)

 

 

 

 

 

 

 

 

社長の座をご子息にお譲り、会長に就任した後もご出社され、多忙な業務をこなされていた故・中道会長。

長きに及んだ岩礁カウンターロックの開発中、同社を訪れると専務である奥様、ご子息である社長と共に遠方から来ている私に笑顔で優しいお言葉をかけて下さいました。

 

遡ること45年前。関西の地で、一人の青年が抱いた大きな夢。その不屈の精神は、長きに渡って今日の釣り業界を支える功労者の根底にあったものに違いない。

この日、改めて私は目にしてきた。

 曇天の下、アジサイの色彩はいっそう際立って見える。                              

 

 

 

 

 

 

一時は回復に向かっていた矢先、

突然訪れた訃報に、この度は誠に残念でなりません。

改めて、お悔やみ申し上げます。

どうか、やすらかにお眠り下さい。

本当にどうもありがとうございました。

 

合掌