さすがに1年以上が経過していることもあり、目に余るような大きなゴミは思いのほか少なく、どこから手をつけようものかと迷うほどの量ではなかったので私達はこまやかなゴミに集中して拾い集めた。
基本は津波で漂着したゴミ集めだが、中にはそれとは関係なく残念に思うこともしばしば……。


こういうのを見ると心が痛む。
主の方…、なんでですか?
それでも黙々と作業をしていると、年配の方がやってきて「どうもありがとう」と、ありがたい一言をかけて下さった。雰囲気からしてこの近くに住んでいる、あるいは住んでいた方のようだ。

「石巻の人はすぐにゴミ散らかしてわがんねぇんだぁ。持ってけ~ればいいのにねぇ。ほんとに困ったもんだでば~(※石巻の人はすぐにゴミを散らかしてダメなんだ。持って帰ればいいのに。本当に困ったものだ。)」と悲しそうに語っていた。
私もあまり言いたくはないのだが……、この方が言っていることは正直、正しい。
この石巻という街は旧来から海の街であり、水産業の街であり、魚の街であり、そして釣りの街であった。実に恵まれた環境にある。
私はそんな自分の街がすごく好きだった。
それだけに多くの釣り人も県内外から集まる「水(海・川含む)」と「魚」に非常に恵まれた土地柄だったのは出身者としての誇りでもあるが、海辺のマナーという視点では全国的な見解からして、お世辞にもこの方が発した言葉を否定出来るような事実は残念ながら思い浮かばないのである。
誰もが気軽に水辺や海釣りに親しめる反面、水辺へのゴミのポイ捨て問題は昔からの付き物だった。これは、釣り人以外にも海辺に集まる人々の意識に「海=特別な場所」という意識が存在しにくいのだろう。海のない土地に住んでいる人から見れば、贅沢に思えるかもしれないが、「海があまりにも身近過ぎる」が故に、その大切さに気つかず日常を過ごしてきた人が多かったのも石巻の風潮だったようにも思える。
私が頻繁に県外の海に釣りに出歩くようになったのも、この海は大好きだけれども、ずっとここだけに留まっていてはいけないと思ったから。
井の中の蛙、大海を知らず。
自分の知らない、まだ見ぬ海を広く歩くことで見地と世界観は確実に広くなった。現に今の私がそうである。行った先で「見て・体験し・学ぶ」ことの意義は、とてつもなく大きい。
自分の生まれ育った海を客観的に捉えることが出来るようになって、初めて地元を理解できる部分って、世の中には確実に存在する。誰にだって自分の故郷はある。故郷を大事に想う気持ちは絶対にあるはず。

人の暮らしにとって切っても切れない大切な関係だからこそ、海辺の環境、水辺の環境にもぜひとも最大限の配慮をしたいものである。

どうか、お願いします。

昨年を持って当地では災害ゴミの集積場への一般搬入は打ち切りになっており、今では通常どおり、決められた曜日に決められた種類のゴミを分別して出さなくてはならない。
次回へ続く。
2012年7月23日 |
カテゴリー:その他
★プロズワンからのお知らせ★
佐藤文紀による夏のベッコウゾイ釣り解説が収録された「SALT WATER」2012年9月号(地球丸)が7月21日(土)発売されました。
■いまスグ楽しめる! サマーターゲット30
夏だからこそボートで狙いやすい!
狙って獲る 東北ボートロック
ぜひご一読下さいませ。
|
カテゴリー:雑誌掲載・DVD
月日の流れと共に、私達の集めるゴミの種類・場所も変化していった。
本来そこにないはずの漂着物が視界に入らなくなった街並みは歩いていても、見ていても気持ちがいい。
一年の節目を過ぎ、ようやく私達の役目も一通りの役目を全うし、その作業の手を下していいのではないかと感じるに至った。
あの状況を見て、とりあえず「今、自分達がやるべきこと」は1年2ヶ月という期間の中で、その役目を一定の範囲で果たせたものと自負している。
この水辺の清掃活動も最近ではゴミを拾う場所も人様の私有地以外はほとんどなくなり、昨年を中心に私達がゴミを拾い集めた土手沿いの中には、現在多くの工事に携わる方々が懸命に作業に励んでいらっしゃる。
この長浜海岸の右隣には「石巻魚市場」がある。
津波で建屋が被災し、現在は取り壊して地盤が著しく沈んだ分の“かさ上げ工事”をおこなってから、再び建物を建築するようだ。
地盤沈下は深刻な問題で、潮位の干満やちょっと雨が降っただけでも水が道路まであがってくるから大変だ。
ご覧のように、このあたりでは、かつて車が走っていた車道(道路)は今や水の下にある。
地盤そのものが大きく沈んでしまったぶん、土を盛り周囲かさ上げすることで、水の侵入を防ごうというわけだ。
先日の「海の日」にちなみ、この日は午前9時から午後3時まで水辺の清掃活動・最終作戦をいよいよ海辺に移しておこなってきた。

宮城県石巻市長浜海岸。
この砂浜は本来であれば海水浴場として多くの人々の笑顔に満ち溢れていた場所。サーファーも多かったし、釣り人も多かった。
投げ釣りならイシガレイやマコガレイ、イシモチ(ニベ)などが狙え、ルアー釣りではマゴチやヒラメが釣れる。時には巨大なアカエイが掛かって釣り人を驚かせる。又、沖からカタクチイワシの大群が入ってくれば、稀にシーバスや青物(ワカシ=ブリの幼魚やショゴあるいはシオ=カンパチの幼魚)が掛かることもあった。
ここは私が中学時代からコチ(マゴチ)釣りに通っていた場所でもある。17年前から付き合いのある海だ。それだけに個人的にも思い入れが強い場所だった。
海岸の堤防はとてつもない地震の揺れで崩れ落ち、後に来た津波の影響と思われる力でバラバラになっている。
階段の下は写真の通り、基礎の土台がむき出しになったままだ。


下の写真(↓)は長浜海岸の右隣にあった赤灯台防波堤。中間部分が津波で破壊され、流失。元々はL字型の防波堤だったはずが、今は沖堤のように見える。

ちょうどL字型になっていた防波堤の内側から石巻漁港側(魚市場側)に投げると、夜釣りでハモが良く釣れたものだ。
三陸でハモと呼んでいる魚は京料理でお馴染みのハモ(←こちらが本家本物です)と同種ではなく実はアナゴのこと。魚が全く違う。真正のハモは温暖な西日本の海で獲れる魚だ。だから、このあたりにはいない。
遡ること7年前、私が北海道に釣りに行きだすまでは、てっきり三陸だけで通じる地方名かと思いきや函館~室蘭にかけての道南方面でもアナゴのことをハモと呼ぶことを知った時には海を渡った土地でも聞き慣れた言葉を耳にし妙にうれしくなったものだ。
昔話で恐縮だが私の高校時代は夏休みに、それまではバス釣りしかやったことのない“海釣りビギナー”の同級生達を引き連れ、ハモの夜釣りを教えたのもこの防波堤だった。エサはサンマの切り身を使う。当時はバス釣り全盛期。空前のバス・バブルが到来していた年代だ。ルアーじゃなきゃ釣りじゃないよ的な誤った風潮が若者の間ではあったが、私はそれは違うと思った。釣りそのものに楽しめる要素、つまりゲーム性があるならば針に付けるものがルアーであろうがエサであろうがそんなのは関係ねぇんだ!と彼らに向かって説いたものだ。現に、ハモを釣る際は投げ竿を使うのがイヤならバス用スピニングロッドの少し硬いものを投げ竿代わりにしてもOKだよと説明していた。
基本、野池や沼でバスしか釣ったことのない彼らにバス以上の大きさな魚を釣らせ、その魚の大きさに驚いてもらいたいと私は強く思った。なので、まずは朝イチはシーバスのルアー釣り、昼間は砂浜でマゴチ・ヒラメを釣らせ、夜はサンマの切り身を付けた佐藤特性ヘビキャロ仕掛けでハモ釣り。朝昼晩“徹底的”に釣り三昧に連行(←“おもてなし”とも言う)した。
が、夜釣りにも関わらず、時々マゴチが掛かることがあり、ハモ(アナゴ)釣りの外道とはいえサンマの切り身をセットした仕掛けに掛かってくるマゴチはワームやメタルジグで釣れるものよりも大きな個体ばかりだったのも不思議だった。小さくても50cm。大きなものでは60cm超だから、「結局のところルアーって人が人の目線で作った世界観の物で、疑似餌の域を出ないのか…。やっぱサイズ狙いでは本物の生エサには勝てないのか…」と若き日の私はルアー釣りの長所と短所の本質をサンマの切り身から学んだ気がした(笑)。
ちなみにハモ釣りは、サンマの切り身のカットの仕方・大きさ・鮮度で釣果に差が出ることはちょっとした秘密。
勿論、サンマはまるごと1尾を買ってきてハモ釣り専用のエサ仕様として捌く。
いろいろコツがあるんです。
月日は流れ、今では「特定の条件下では生エサ以上に釣れると思えるワーム」も世の中には普通に存在する時代になった。
あの年代はそんなワームがこの先の未来に発売されるなんて夢にも思わなかったが……当時、そんなことを想ってルアー竿と投げ竿をこの海で両方振り回していた自分をふと思い出し、なんだか無性に懐かしくなった―。
話を戻して続けると、長浜海岸の土手には山積みされた大量のガレキがある。

これが2012年7月の現在の風景だ。
これがこの場所の、【今】なのだ。
2011.3.11―。
残念極まりない事実だが、あの日、あの瞬間から状況はすっかり変わってしまった。
次回へ続く。
2012年7月22日 |
カテゴリー:その他
昨年5月から自発的に始めた水辺の清掃。ガレキと共に多くの流れものが市街地にも到達し、そのままになっていた。ゴミといってしまえば、それまでだが、その中には人々の日常に溢れる思い出の品も無数に存在していた。
津波の勢いで流されてきた海の魚・川の魚も同じこと。脅威としか言いようのない、凄まじい水の力で運ばれてきた当初は生きていたでろう命もそこで死に絶え、放置され、腐敗し、ウジがわき異臭を放っている状況を見かねて、自分たちが何とかしなければ…の一心で賛同者を募り、この1年2ヶ月に渡り、定期的に水辺の清掃ボランティア活動を展開してきた。
当ブログではこの活動についても書き綴っているが、私達が最初に集めた災害ゴミの多くは運河沿いや川沿いに津波で流れ着いた魚の死骸やガレキ、大型ゴミなど津波そのものの生々しいものが多かった。
詳しくは下記を参照して頂ければ幸いである。
http://www.pros-one.com/blog/?m=20110514
http://www.pros-one.com/blog/?m=20110517
http://www.pros-one.com/blog/?m=20110613
http://www.pros-one.com/blog/?m=20110703
日本中、そして世界中から寄せられた皆様の優しさと心は様々な形として私達・被災地に届いた。
本当にありがたく、このご恩は決して生涯忘れることはありません。
明日を生き延びるための水や食べ物の確保さえ難しかった震災当初は、炊き出しや食料の配給など物資の援助という形から始まった奉仕の心だったが、震災の行く末が次第に広がりを見せ、求められるニーズの多様化によって現在では個々のボランティア展開も大きく変化していった。
軒並みに仮設住宅が連立し、とりあえずは人々の最低限の身寄りだけは確保されるに至った今日。奉仕の場は、より多様化し専門性を求められる段階へと差し掛かった。家族と生き別れ、身寄りのなくなった仮設住宅に住むお年寄りの孤立を防ぐための交流活動に、身体の不自由な方々の介護、痛ましく傷ついた心のケアなどは、その分野の専門家の力を必要とするケースも目立っている。むしろ今後はこういった課題への取り組み方がひどく問われるに違いない。
あの日から1年2ヶ月が経過し、人々が行き交う街並みに関しては最低限の“見た目”だけは元に戻ってきたように見える。が、しかし、本当の復興は今からが正念場だ。
多くの方々が亡くなったことで必然的に人口は減り、更に県内外へと脱出した流失人口の分を含めれば、街の機能がどこまで回復できるのか、将来的に再びここにコミュニティーが形成されるかどうかも難しい問題に直面している。
いつの日も夢と希望をもって人生を送りたい。そして、楽しく―。
生き物である人間にも寿命というものがある。一度きりの人生。お先真っ暗な未来など誰ひとり望む者はいないが、事態は必ずしも明るい未来に転がるとは限らないのが世の中に思える。それほど東日本大震災という出来事は近代日本の歴史を根底から覆してしまいかねない深刻な出来事になってしまった。

宮城県石巻市に長浜(ながはま)という海岸がある。

この砂浜は湾内に位置しているため、外洋に面した場所のような荒々しさはなく、英文字の「Surf=サーフ」というよりは日本語の“なぎさ”(渚)の表現の方が私的にはしっくりとくる。
長らく釣り人生を送っていると、人さまよりも五感が敏感になるようで、特に目(動体視力)・耳(聴覚)・鼻(嗅覚)はかなり効くようになる。

なので、小さな音でも耳に入る性質ゆえに「ザッパ~ン!!」という波高の大きな荒波が繰り返し押し寄せる砂浜だと、身体と心が過剰に恐怖感を感じてしまうため、そういった場所は旧来から釣り場としてのみならず個人的にもあまり好みではなかったが、この穏やかで優しい波の音がする長浜は昔から好きな浜で、釣りをする・しないに関係なく海を眺めているだけで落ち着ける場所の一つだった。
次回へ続く。
2012年7月21日 |
カテゴリー:その他
★プロズワンからのお知らせ★
6月18日放送のBS日テレ「夢釣行~一魚一会の旅~ 東北魂の志 北のロックフィッシュに根魚ハンターの夢を追う」 ロケ中に佐藤文紀がシューティンウェイSWS-702L“スイミントレーサー”のジグヘッドリグでキャッチ&リリースした全長58cm/重量4.20kgのクロソイがNPO法人ジャパンゲームフィッシュ協会(JGFA)の定めるスペシャルクラブ「 5 POUND OVER CLUB」に公式認定されました。

魚種:クロソイ(リリース)
全長:58cm
重量:4.20kg
ラインクラス:4kg
釣り人:佐藤文紀
釣り場:北海道小樽市
年月日:2012年5月23日
部門:5ポンドオーバークラブ
【記録認定魚 釣獲タックル詳細】
ロッド:シューティンウェイSWS-702L“スイミントレーサー”
リール:ステラC3000
ライン:シーガーテンヤ0.8号
リーダー:シーガーショックリーダープレミアムマックス20lb
ジグヘッド:OHラウンドヘッド(JH-11)3/8oz
ルアー:ガルプSWパルスワーム4”(カラー:レッド)
2012年7月10日 |
カテゴリー:その他
« 前のページ
次のページ »