ロックフィッシャー佐藤文紀

ロックフィッシャー
佐藤文紀
(さとうふみのり)
元祖・根魚ハンターとして、数々のIGFA世界記録及びJGFA日本記録を有し、「根魚釣りの専門家」として東北〜北海道を拠点に全国各地の根魚を追い続ける。
又、フラットフィッシュや大型トラウトの釣りにも造詣が深い。
2011年、自らがプロデュースするブランド、PRO’S ONEを立ち上げた。
NPO法人ジャパンゲームフィッシュ協会(JGFA)評議員

キャッチアンドリリースのお願い

豊かな自然とグッドコンディションの魚を守るため、必要以上のキープは慎み、又、産卵前の個体やこれから大きく成長していく若魚は、ぜひともリリースを心掛けましょう。
釣り場環境への負担を最小限に抑えることで、次世代に渡り末永く楽しめることを願って―。

4年後の今日という日を想う。~東日本大震災追悼の一日~

あの日もそうだった。

時は、4年前に遡る。

経験した最大級の揺れの後、外の視界は雪で白くなっていった。

 

悪運に悪運が重なり、人々の困惑は増していく一方だった。

 

 

東日本大震災から4年が経過した本日-。

 

毎年、この日ばかりは気が重いのは変わらない。

その後の行いが果たして正しかったのか?

今も自問は尽きないが、結果としてみれば自分に出せる精一杯のことをこの4年間でしてきたのは確かだ。

全身全霊の想い、とはこのことだろうか。

 

気力も、体力も、お金も、そして時間も。

人生の中で限られた貴重なこれらすべてを全部、費やしてきた。

 

復興を夢見て誓った再建への道。

 

その一方で、挫折する者が相次いでいく被災地。

それもそのはず。

起きてしまった現実のあまりの大きさを考えれば、誰だってうなずけるものであろう。

それを否定することなど、何人たりともあってはいけない。

人生が狂う、まさにそんな表現すら正しく思う。

 

時を同じくして、29歳(当時)の青年が投じたものは、それは、それは莫大なものであった。

悔しい気持ちに憎悪。

本来、「憎悪」なんて物書き人たるもの使ってはいけない心苦しい表現であるが、心の底から湧き上がるダークネスを逆コントロールすることで、本気で切れかかった精神を繋ぎ止め、自らが進むべく道を模索すべく原動力に転換させていく以外、方法はなかった。

人間、窮地に追い込まれるとそれほど、黒い力さえパワーに変換させなければいけない時がある。

憎しみや恨み。

その対象となる矛先は、こともあろう「海」だ。

これまでずっと恩恵を受けたきたにも関わらず、この時ばかりはたくさんの人の命を一瞬でかっさらって行った海を、ひどく恨んだのだ。

人々に生きていることを実感させてくれる幸せの場所は、地獄絵図と化した。

今もこの眼に焼き付いている。

 

喜び半分、悲しみ半分。

それが今、海に対する私が抱く感情である。

でも、「海が好きだから」の気持ちは残っているから、それだけは間違いなく本心だ。

 

この悲しみや憎しみ、辛さがすべて消え入ることは、きっとこの先もないだろうと思っている。

己の人生最後の日まで心の中に抱え込まなくてはいけない「覚悟」も私は分かっている。

 

癒えない大傷を抱えながら、歩む道はこれからも困難に違いない。

東日本大震災後の東北の被災地に生きる、とはそういうことなのだ。

この地に渦巻く悲しみの運命さえも一人、一人が背負わなくてはならない。

 

この重荷にいつまで耐えられるかは、私とて分からない。

もしかしたら、この先、ついに心が折れてしまうかもしれない。

こればかりは、今はまだ分からないのだ…。

 

しかし同時に、まだこの地に夢を見ているのも私なのだから、今日まで歯をくいしばって生きている。

だから、毎日毎日、全力疾走している。

正直、息があがるがまだ私は走っている。

 

おそらく……途中で走りをやめてしまえば、私が私でいられなくなるのも分かっているから、これまで走ることをやめなかった。

 

無心になって走る。

それも、いつも全力疾走だ!

 

 

4年間という重みは、果てしなく重い。

それは、生き残れた人のその後の人生とあの時に死んでいった人の気持ちまで背負い続けるから。

 

貴方にとっての4年間はどうでしたか?

 

今日はそれを考える日。

 

4年前のあの時に情景を戻して、原点に立つ本日・4年後の3月11日より。

4年後の3月11日の空。

東北に、いつかまた穏やかな生活が戻りますようにー。