ロックフィッシャー佐藤文紀

ロックフィッシャー
佐藤文紀
(さとうふみのり)
元祖・根魚ハンターとして、数々のIGFA世界記録及びJGFA日本記録を有し、「根魚釣りの専門家」として東北〜北海道を拠点に全国各地の根魚を追い続ける。
又、フラットフィッシュや大型トラウトの釣りにも造詣が深い。
2011年、自らがプロデュースするブランド、PRO’S ONEを立ち上げた。

キャッチアンドリリースのお願い

豊かな自然とグッドコンディションの魚を守るため、必要以上のキープは慎み、又、産卵前の個体やこれから大きく成長していく若魚は、ぜひともリリースを心掛けましょう。
釣り場環境への負担を最小限に抑えることで、次世代に渡り末永く楽しめることを願って―。

江戸前の海を駆ける友とK先輩

お互いデビューする以前から仲良くさせてもらっている釣友の一人に、シーバスプロアングラーの大野ゆうきさんがいる。

ジャンルの枠を越えて、復興への想いは釣り界のみんなの願いである。同じソルト界に身を置きながらも、片やシーバス、片やロックフィッシュではジャンルが大きく異なるため一見、接点は全くないように思われるが、大野さんの幼なじみにKさんという方がいて、実はこのKさん。私の大学時代の2つ上の先輩にあたる人物。Kさんと私は学部が異なるため研究室も全く別棟だったが、たまたまKさん直々の後輩が私と同い年の釣友だったために、Kさんを交えて一緒に釣りに行くようになったのがキッカケだった。

ところでこのKさん、私と出会う前は熱心なシーバスマンで、いかにも“シーバス一筋”っていう感じだったが、「せっかく東北にいるのにロックフィッシュやらなきゃ勿体ないですよ」と半分強引に根魚釣りを教えたのが私。今思えば、悪いことしてしまった……。

それからは、すっかり「根魚地獄」に陥ってしまい、プラグで埋め尽くされていたはずのタックルボックスには根魚用ワームが入りきれないほど散乱するようになり、卒業するまでの間Kさんとは毎週のように根魚釣りに行くようになったのも実に懐かしい思い出。

大学時代の先輩・Kさんも久々に北上川での釣りを楽しんでいた。宮城県牡鹿半島、女川町、雄勝町。金華山に江ノ島…。数年前には岩手県重茂半島にまで連れて行き、2人で50UPアイナメ激釣した翌日は一路南下し、宮城県金華山でベッコウゾイをたんまり釣り上げたのもまだ記憶に新しい(今考えれば、よく体力的に続いたなぁ…)。そういう経緯もあり、もうずいぶん前の話になるが「俺の幼なじみで佐藤君と同じような人間がいるんだよね。」とKさんの幼少時代からの親友・大野さんを紹介されたのがそもそもの始まりだった。

大野さんは大震災発生時、地震直後から全てのライフラインが寸断され、身動きが取れなくなっていた私に携帯メールで「今どこで何が起こっているか」リアルタイムで東京から情報を送信し続けてくれた一人でもある。

先週、その大野さんとKさんが東京から見舞いに来てくれた。

大野さんと最後に釣りしたのは確か3年前の真冬の東京湾でのボートシーバスジギング(ベイジギング)以来だったか。せっかくだし、久々ということもあり朝の時間帯、一緒に北上川に向かった。鱸釣り師×根魚釣り師の組み合わせは、他ではまず見ることはないであろう、ある意味珍しいカット。あいにく、雨後の濁りがまだ少しキツく、サクラマスにしてもシーバスにしてもちょっと厳しい中での釣りだったが、釣果は二の次ぎ。「最近どうなの?」とばかりに話が弾み、並んで竿を振った次第。Kさん含め、この日3人にヒットは訪れず、思いっきりボーズを喰らったが、それはそれで楽しいひと時を過ごすことが出来た。

昼食を挟んだその後、被災地を見て歩いたが、東京からいらした2人とも震災後の爪痕に、ただただ驚くと共に言葉にならない様子だった。大野さんが東京という江戸前の海で釣りを覚えたように、私は東北の三陸という海で釣りを覚えた。育った地域も、釣ってる魚も相変わらず異なるものの、同じ海に生きる同世代の同志。

「俺はシーバスの世界で」、「俺はロックフィッシュの世界で」共に頑張っていこうと誓った約束は何年経っても変わらないものだった。

北上川の畔でサクラマスとシーバスを両方狙う。他では、なかなか見ることの出来ない珍しい(?)組み合わせ。

 

 

 

 

 

 

 

別れ際に「佐藤君は、これからもここ(北国のフィールド)に残るのかい?」と尋ねられた時、私から返ってくる答えは最初からご本人も察しがついていることと思ったが「そうですね。自分の居場所ですから」と返した。

北国の海、この海を最後まで見届ける覚悟の私を、気遣う温かい問いだった。

 

二人とも遠路見舞いに来て下さり、どうもありがとうございました。

これからも被災地への継続的な復興支援の呼びかけを、どうかよろしくお願いします。