ロックフィッシャー佐藤文紀

ロックフィッシャー
佐藤文紀
(さとうふみのり)
元祖・根魚ハンターとして、数々のIGFA世界記録及びJGFA日本記録を有し、「根魚釣りの専門家」として東北〜北海道を拠点に全国各地の根魚を追い続ける。
又、フラットフィッシュや大型トラウトの釣りにも造詣が深い。
2011年、自らがプロデュースするブランド、PRO’S ONEを立ち上げた。

キャッチアンドリリースのお願い

豊かな自然とグッドコンディションの魚を守るため、必要以上のキープは慎み、又、産卵前の個体やこれから大きく成長していく若魚は、ぜひともリリースを心掛けましょう。
釣り場環境への負担を最小限に抑えることで、次世代に渡り末永く楽しめることを願って―。

胸ポケットに込めた意味。

2年、ですね。

今日は特別な日です。

あの未曾有の惨劇からの2年という月日の流れが短ったのか…、長かったのか…それに対する明確な答えは分かりません。気持ちを切り替えて前を向いて歩き出している人々がいる反面、今も尚、前を向けない人々がいるのも現実ですし、むしろそういった方々の背中をポン!と押してやるのではなく、背中をさすってやることの方が大事なのではないかと思います。人の気持ちに、人の心に寄り添うことは本当に難しいことで、私にとってもこの2年という月日の流れは何とも言えない苦痛と葛藤の日々でした。

2年前の今日。午後14時46分。あの瞬間を境に人生、これほどまでに落ち込むこともなかったし、未来に絶望したこともなかった。

初めて感じた底知れぬ恐怖に震えが止まらかなったのもまた事実でした。

 

報道媒体によっても多少の誤差はあるかとは思いますが、現時点、この度の東日本大震災による死亡者は1万5881人。2668人は現在も行方不明のまま。先月時点での避難者数は31万5000人とされています。

 

復興までには程遠く、長い長い時間を要することでしょう。

私から見ても、そう感じます。

 

1000年に一度の…とか、100年に一度の…とか色々な例え方をされるこの大震災ですが、不運にも私達はそういう時代に生まれ、生きてしまった。

これもまた事実。起きてしまった歴史は消し去ることは出来ないからです。

それでも命ある限り、その使命を全うしたい。全力で人生を駆け抜けたい気持ちには変わりありません。

 

この2年間、無我夢中に、がむしゃらに突進してきました。忙しさに身を任せることで一連の辛い出来事を思い出すことを防いでいました。やり場のないこの悲痛の思いをぶつける場所がなかったというのが本音でしょうか。

湧き上がる悲しみや苦しみをどこで消化すれば良いか分からず、無理やり自分の胸のうちの奥深いところに黒い感情を押し込んで来ました。苦しかったですね、正直言って。辛かったです。

身はクタクタになり、心もズタズタに引き裂かれるような現状をこの目で見て、そして経験してきましたが、目の前にやらなければならないことがあることだけが唯一の救いでした。

それでも、やるべきことがあっただけ自分は幸せだったと思います。

 

私の周りにも沢山の被災者がいます。亡くなった人、今もまだ行方が分からない人、家族を失った人、家を失った人、職を失った人…。そして被災地に見切りをつけて遠方に越して行った人も少なくありません。

地元にいた友人や知人の中にも故郷を離れて遠方に出ていきました。私はたまたま踏み止まりましたが、仮にもしこの仕事に就いていなかったら、直接、海の携わる仕事をしていなかったならば、これを機に彼ら同様、新天地を探し求めていたかもしれません。

人生、こればかりは分からないものです。

 

堤防や磯で釣りをする時に身に着けるフローティングベスト。命を守る、大切な救命具ですよね。その胸ポケットには私なりの気持ちをいつも掲げていました。

がんばろう、東北。魔法のピンバッチ。

 

 

 

 

 

 

 

昨年取材した雑誌の写真やDVDの映像をご覧になった方にはこのピンバッチの存在をお気づきになった方もいらっしゃるかもしれません。

短い言葉ではありますが、被災地に住まう人間の一人として私の願いもこの一言に尽きます。

「がんばろう東北」。

私にとって、これは“魔法のピンバッチ”なんです。

 

 

人手不足や資材不足の問題も山積している被災地において、復旧・復興作業は遅れています。見ているとよく分かりますね。それに、地区ごとの復旧スピードの差(ギャップ)が非常に激しい。そのような意味では被災地全体に一定の兆しが見えるのは10年先か、15年先か、あるいは20年先なのか―。

東京電力福島第一原子力発電所の廃炉には40年かかると言われています。現在30歳の私が40年先は……70歳。唖然としますが、それだけ多くの時間を要するということです。

沿岸部に残ったガレキ処理の問題や放射能汚染の問題もこれからがある意味、正念場に差し掛かるものと思います。

とてつもない大きな負の遺産を残した東日本大震災。この災いはまだ終わってはいません。皮肉にもまだ続いているのです。

 

それでもまた春の兆しを私は目にしました。

被災地の大地に芽吹いた希望のつぼみ。花よ、大きく咲け!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この小さく、まだちょっと頼りない希望の芽が、やがて大きな花となりますように―。

そう願わずにはいられない、震災から2年目の3月11日です。

 

がんばろう、日本。

がんばろう、東北。

命あることに感謝し、私も、もう少し頑張ってみることにします。

夢と情熱を信条とする男は、やるなら“いつも全力”なのです。

 

日本全国および世界各国より寄せられた人々の多大なるご支援・ご声援にいま一度、深く御礼を申し上げると共に、どうかこれからも被災地を温かな目で見守って頂ければ幸いです。

東北のこと。よろしく頼みますね、皆さん!

 

どうぞ、よろしくお願い致します。

 

                                                                                  2年の節目に―。

                                                                                  2013年3月11日

                                                                                   佐藤文紀